真の自由を目指して

己の潜在能力を100%引き出すための成長記録

森とITを融合して成長する

人間は環境に大きく左右する。現代人はほとんどが都市部で生活しているが、これはここ数十年の話で、日本人の7割は山で住んでいた。

 

歴史を辿ると、森で自然と一体化して生きてきたので、遺伝子レベルで森の生活を求めるのは自然なことだ。都市生活は確かに便利だ。お金さえあれば、欲しいものは何でも手に入れることができ、何不自由にあ生活ができる。

 

しかし、便利すぎて自分で考えることを止めてしまい、逆に退化しているように感じる。スマホやパソコンばかり観るので、視力は落ち、視力矯正しなければ、まともに観ることはできなし、自分で食べるモノも作るもとすらできない。

 

何でも効率を求めすぎるあまり、生きることの本質からズレているような気になる。

サラリーマンは企業に雇用されているので、色んな保障を受けられるが、自分の意志で、仕事ができることはほとんどない。

 

だれがやっても同じ処理ができるように、マニュアル化されているので、人材は金太郎飴みたいに、名前が違うだけで、同じ機能のような人間になる。

 

僕は森に興味を持っている。仕事はIT関連なので、フルにネットを活用しているが、だからこそ自然で仕事したい欲求が高まっている。

 

ITドッグイヤーと言われるように、短期間で規模を急拡大する業界だが、その半面、その進化に人間が合わせないといけないので、多くの人がインプットのキャパオーバーになっている。

 

 

これがスギの木なら40年かけて育てていくので、自然の摂理に沿った生活をする必要がある。スローライフというか、本来の時間軸で生活することで、人間らしさを取り戻したいと思う。

 

 

 

自由は過酷だからこそ確固たる信念が持てる

普通に生きていれば、自分で自分の人生を意思決定する機会というのは驚くほど少ない。生まれてから小中高、大学という学生期間は親や教師の意向に沿った教育を受けるため、自由はかなり制限される。

 

そして就職してからは、会社組織の中で社長からトップダウンの指示や規則により、自分で意思決定しなくても、ほとんど事がスムーズに進んでいく。こういった人生の中で生きると、本当の自由とは何なのかと考えこともあまりなくなる。

 

その対極として、起業家という存在があるが、働くという概念が雇用と起業じゃ180度変わってくる。起業家は自分のやりたい事を追求して、独自性のもったビジネスを磨き上げていく。そこには、成功するどうかも分からない、ましてや全く稼げないかもしれないサービスに対して、朝から晩まで、多くの仕事を意思決定して働き詰めになる。

 

これはサラリーマンの感覚ではありえない。給料がゼロどころか、自分のポケットマネーを使って、収入がない中で長時間仕事をする。こんな理不尽な状況を経験したいと思う人間はどれだけ狂っているか分かるだろう。だかさこそ、狂信的なまでに仕事をして、自分や社会が求めていることに対して、確固たる信念が持てるようになる。

 

自由は自分の人生を取り戻すという感覚もあるが、その中身は次から次に、膨大な意思決定をし続けるということだ。自由は、保険や保証といった事とは対極の位置にあり、明日どうなるか分からない事を、ありのままに受け入れるということでもある。

 

こういった自由を僕は、これまでも追い求めてきた。そしてこれからも、やりたい事を仕事にするという目的は生涯持って生きたい。

 

 

 

自由は過酷だからこそ確固たる信念が持てる

普通に生きていれば、自分で自分の人生を意思決定する機会というのは驚くほど少ない。生まれてから小中高、大学という学生期間は親や教師の意向に沿った教育を受けるため、自由はかなり制限される。

 

そして就職してからは、会社組織の中で社長からトップダウンの指示や規則により、自分で意思決定しなくても、ほとんど事がスムーズに進んでいく。こういった人生の中で生きると、本当の自由とは何なのかと考えこともあまりなくなる。

 

その対極として、起業家という存在があるが、働くという概念が雇用と起業じゃ180度変わってくる。起業家は自分のやりたい事を追求して、独自性のもったビジネスを磨き上げていく。そこには、成功するどうかも分からない、ましてや全く稼げないかもしれないサービスに対して、朝から晩まで、多くの仕事を意思決定して働き詰めになる。

 

これはサラリーマンの感覚ではありえない。給料がゼロどころか、自分のポケットマネーを使って、収入がない中で長時間仕事をする。こんな理不尽な状況を経験したいと思う人間はどれだけ狂っているか分かるだろう。だかさこそ、狂信的なまでに仕事をして、自分や社会が求めていることに対して、確固たる信念が持てるようになる。

 

自由は自分の人生を取り戻すという感覚もあるが、その中身は次から次に、膨大な意思決定をし続けるということだ。自由は、保険や保証といった事とは対極の位置にあり、明日どうなるか分からない事を、ありのままに受け入れるということでもある。

 

こういった自由を僕は、これまでも追い求めてきた。そしてこれからも、やりたい事を仕事にするという目的は生涯持って生きたい。

 

 

 

字は角をしっかり書くことで綺麗になる

僕は小学生の時に習字をしていたので、字は綺麗に書けていた。しかし、中学生位から、反抗期になり、比例して勉強なんてやってられない、という気持ちになり字も汚くなってしまった。それから数十年経ち大人になった今でも、綺麗に書こうと思っても、なかなか修正しない。

 

今の時代は、手書きする機会はめっきり減ってしまい、なんでもスマホやパソコンで入力するようになった。加えて、音声入力の精度が向上したので、文章は口述で済むようになっている。

 

だからこそ、手書きは必要だと僕は感じている。もし、電気が使えなくなったら、自分の脳だけが頼りになる。その時に、手書きのスキルがあると、仕事でも重宝するし、娯楽にも使える。

 

常にゼロベースで考えると、ITにばかり頼っていては、能力が退化してしまうので、手書きを日常生活に浸透させて、自分との会話する時間を増やしていきたい。普段、スマホで他者との関係性にかなりのリソースを費やしていると、何も通知がこないノートは最高の思考実験ができる道具だと感じる。

 

 

 

 

赤坂のふきやが休業していた

長年、赤坂にあるふきやを利用していた。最近2回くらい足を運んだ時に、閉まっていて、今回は3回目だったので、何かおかしいなと思ったので、赤提灯が消えていても、近くまで行ってみたら「しばらかくの間休業します」と書いてありびっくりした。

もう10年以上利用していたので残念だな。ここのお好み焼きはコスパが抜群に高くて美味しかったんだけどな。僕はもっぱら350円の大盛りサイズの玉子焼きを選んでいた。この値段で、お腹一杯になるんだよね。こんなボロっちい通りで全く人目につかない場所にあるのに、いっつも客が多かったから、客数が少ないのが原因ということではないと思う。

天神にもふきやがあるんだけど、同じメニューが100円くらい高かったからな。また再開することを願っています。


桜と涙が溢れでた痛すぎる恋愛

日くらい前から桜が咲いているのに気づいた。例年より1週間は早い。もう満開になっている桜もあり、週末には花見で賑わうだろう。今年は3月が例年より暖かいので、桜もすくすくと成長したのだろう。だけど寒暖の差がかなりある。日中が23度まで上がって蒸し暑いなと感じたら一転、8度とか真冬の寒さに逆戻りして、体調管理には気をつけてないと風邪を引いてしまいそうだ。

 

花粉症の人はただでさえ、鼻が詰まったり、目が痒かったりするのに、風邪まで引いたら仕事どころではないくらいきついだろう。僕は花粉症ではないが、昔この時期に花粉症かも?といった症状に悩まされた時期がある。それまでは花粉症の辛さが全く分からなかった。

 

しかし、いざなってみると、1日中鼻がむずむずして、くしゃみが出そうででない。くしゃみが出ればすっきりするのだが、鼻の先がくしゃみが出る直前みたいな感覚がずっと続いた。この状態では辛くて何もやる気が起きなくなったほどだ。

 

結局1週間ほどで治って、結局花粉症ではなくて本当に良かった。これが1ヶ月以上とか続いたら、発狂していたかもしれない。ちょっと話は逸れたが、桜が咲く時期というのは、色んな思い出が詰まっているものだ。

 

別れと出会いが行き惑う時期なので、この時期はちょっとセンチな気分になる。別れで印象に残っているのは、6年間付き合った彼女と別れたことかな。あれは確か3月31日の夜だった。この日会うまで、最近彼女がちょっと素っ気ないなという印象はあったが、そこまで気に留めていなかった。

 

そして話しがあると言われ、彼女に「好きな人ができた」と言われた。これにはびっくりしたやら、ショックやったやらそんな事態になっているとは夢にも思わなかった。6年も付き合うとドキドキ感とかはなくなって、友達のような感覚になり、イチャイチャするような事は確かに減っていた。

 

まあ、ショックだったが、好きな人ができたならしょうがないという事で僕の方から別れを告げた。心の準備ができていなかったので、別れた後に心が乱れて、朝までゴスペラーズの「永遠に」を20回くらい聞きながら泣きじゃくった。この曲は彼女が好きな曲でよく一緒に聞いたものだ。

 

次の日に家にいるのが辛くて、彼女とよく一緒に過ごした公園に行った。すると桜が満開で、とても綺麗だった。が、桜を見ると、彼女と一緒に弁当を持って花見をした事とかを思い出し、また涙が溢れてきた。いきなり地獄に突き落とされたような感覚になり、完全に無気力になっていた。この日は日曜日だったが、こんな状態で仕事ができるだろうかという位に落ち込んでいた。

 

起きている間はずっと彼女の事が頭から離れない。しかしもう別れたのだから忘れなければ、こんな思いが頭の中でずっとループしていた。大切なものは、失った時に気付くものだと痛感した。こんな事になるなら、もっと彼女を大事にしておけばよかった。もし時を元に戻せるなら、とかしょうもない事ばかり考えてしまった。

 

しかし別れて、いかに彼女を愛しているか気づいた。その気持ちを抑えられなかったので、彼女にもう一度伝えたいと思い電話した。すると彼女も同じ気持だったみたいで、「本当に大切な人はあなただったと分かってすごく後悔していた」と言われた。

 

彼女は泣きながら「昨日はエイプリルフールだったでしょ。だから冗談だったんだよ」と言われて安堵な気持ちに包まれた。

 

そして月曜日の朝家を出ると、心地良い快晴の空を見て、わずか1日で地獄から天国に舞い上がった気持ちになった。このボロボロの精神状態から立ち直ることができるだろうか?というくらいに落ち込んでいたので、また彼女がいる生活に戻れることの幸せを噛み締めた。

 

そして、ここまで愛していることに気づいたのだから、結婚したいなと思い初めた。次の日に彼女に会う約束をした。その時は最初にデートした時のようにドキドキした。長く付き合うと、一緒にいるのが当たり前で、この感覚を忘れてしまっていたけど、今回の件でまた初々しい気持ちになり、彼女にもっと愛されるように、仕事もバリバリと頑張り男を磨きたいと思った。

 

が、しかし幸せも束の間、その2日後に、彼女からメールが届いた。

 

 

「やっぱり相手の事も好きになっていて、抑えられなくなっている。だからもう付き合えない」

 

ガーン。頭をハンマーで殴られたような気持ちになった。またまた天国から地獄へ叩き落されたような気分になった。女の心の移り変わりの激しさに僕の心は乱されまくった。結局諦めるしかないのかと頭をよぎったが、「いや、絶対に僕の方が彼女を幸せにしてやれる筈だ。」という気持ちは揺らぐことなく、それから猛プッシュで彼女を説得した。

 

しかし、彼女は「日に日に相手のことが好きになっており、もうこの感情は止めることができない」と言われた。もうここまで言われたらしょうがないと諦めた。

 

彼女の幸せを願うことが一番だと感じ僕は引いた。ハッピーエンドにはならなかったが、今となってはいい想い出となっている。桜を見ると当時のことが蘇ってきて連々と書いてしまった。

 

今年の春はどんなドラマが待っているのだろうか。

福岡市のPM2.5による大気汚染がヤバイ

今日家を出た時に、何だこのモヤは?と思った。福岡市は浸水対策で那珂川の大規模な工事をしているので、その土煙かと思った。しかし、川沿いから離れても、モヤが凄い。花粉症でもないのに、目に粒子がガンガン飛び込んでいるのが分かる。

 

普段、僕は自転車で移動するのだが、気分転換に良く歌ったりする。しかし、これは口を空けると、汚染物質が体内に入ってしまうと思い、口を一文字に閉じるようにした。これは、黄砂かPM2.5のどちらかだなと思い早速調べてみると、黄砂は飛んでいないみたいだ。

 

そしてPM2,5は基準値以上の値を観測しており、数字が赤表示になった。これはマスクをしなければヤバイと思って、ポケットの中を探ってみると、うっかり入れっぱなしだったマスクがあったのでラッキー。迷わず口に装着した。

 

普段は、大気汚染なんて全く気にならなかったが、ここまで飛んでくると、日常的にチェックする必要がある。中国の大気汚染状況をテレビを見ていた時は、他人事のような感覚だったが、もうそんな状況ではない。福岡に住んでいると、正に現実に迫っている危機として対象しなければいけないと感じた。

 

黄砂だけでも大変なのに、それに加えてPM2.5という大気汚染まで気にしなければならなくなったのはとても残念な気になる。しかも中国は外国資本の会社が、中国を汚したからだというスタンスだからな。

 

しかし人間というのは何と愚かな生き物なのだとつくづく思う。環境を汚しまくって経済成長して何になるのだろうか?

 

結局、豊かな生活ができるようになっても、汚い空気を吸って体を壊しては元も子もないではないか。まあ確かに中国が言う事も一理ある。グローバル競争で、利益を追求するあまり、工場が一極集中してしまったのが大きな原因でもある。

 

今は手に取った商品のほとんどがメイドインチャイナになっている。しかし、食料品などは今後かなり気をつけなければいけない。大気汚染された土壌や環境で作られた物を体内に入れると大きなツケを払うことになるかもしれないのだから。